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BL系一次創作漫画やらイラストやら描いてる人の雑記です。

TLが見られない!

TLが見られなくなりました。いやTwitterの不具合とかそう言う話ではなくて。

メンタル不調気味なせいか他の人のツイートが自分に向けたエアリプなのでは?という被害妄想と自意識過剰をこじらせてしまったのです!子供か!

 

 

 

特に苦言を呈す感じの呟きとかにそう感じます。

自分が洋服選ぶのめんどくせぇ〜と呟いた後にたまたま呟かれたファッションについてのつぶやきを見て「ああ服も適当な私はダメ人間だ」と勝手に落ち込んだり「〇〇頑張るぞ!」と呟いた後に「そんなに一生懸命になる必要あるのかな?」というつぶやきを見てしまい「私って馬鹿なのかな」とか勝手に落ち込んだり

 

 

みんなただ思ったことを呟いているだけなのに勝手に落ち込まれて良い迷惑ですよね。エアリプではないこと、自意識過剰なのは理解しています。大体私のツイートを見ている人自体少ないだろうし存在自体忘れられている可能性が高いので偶然以外の何でもないと思います。ただ私の性格上どうしても影響を受けてしまう時があるのです。私はとっても面倒くさい女……

 

 

 

それで落ち込んだり被害妄想拗らせるくらいならやっぱりTwitterとは距離をおいた方が良いのだと思います。一時期、あまり触らないようにしていたのですが最近になってまた愚痴愚痴呟いたりすることが多くなってしまっていたのでまた距離を置こうと思います。

 

 

余計なことは呟かない。

絵とか漫画関係のことだけツイートする。これにつきますね。

蛾について

蛾というモチーフが好きです。たくさん描いてるわけではないんですが。

 

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左から性犯罪者予備軍I(2018)性犯罪者予備軍Iの細部、レースペーパーを使ったドローイングシリーズ(2017)コラージュ(2017)

 

(↑この頃はレースペーパーのドローイングシリーズをずっとやってました。出来の良いのをまとめて本にするつもりでしたが遥かに大御所の作家様がレースペーパーにドローイングしてるのを知って、しかもそれが私よりも前からされていたのでどう考えても私がパクったような見え方になりそうだったのでやめました。私も迂闊でした)

 

 

腐った肉や絶望、不安、閉塞感、飛び立とうとしてもうまくいかない、結局変われない、みたいなイメージで使うことが多いです。

 

 

蛾、本来の習性を考えるとこのようなイメージは間違っているのですが(殆どが植物食。腐った肉など食わない)暗くて汚いビルとか公衆トイレに沢山いるのでそういうイメージの絵に使ってしまいます。蛾、ごめんね。

 

 

子供の頃、団地に住んでたのですが、一般的な団地って踊り場が吹きさらしになってるじゃないですか。開口部があってガラスとか嵌められてなくて。だからなのかめっちゃ虫が来るんですよね

 

 

夜になると蛍光灯に蛾がよく群がってるし壁にもよくぺったり張り付いてるし。他にもいろんな虫がいました。たまに風呂場とかにでっかいアシダカグモとかムカデが出没します。まぁこれは私が住んでた団地が緑が多い環境だったからかもしれませんが。ちなみにうちの母は就寝中、でっかいムカデに足を刺されてパンパンに腫れて病院行きました。ムカデはマジでヤバい。飼ってた猫は足を蜂に刺されました。すぐ病院いって大事には至らなかったけど。

 

 

蛾から話がそれましたが、暗い階段の踊り場でじっと壁に張り付いてる蛾は幼い子供にとって不気味で恐怖の対象でした。目玉のような模様とか。枯れた樹皮のような模様とか。踊り場で母に怒られる私をじっと蛾が見つめているような気がしたのを覚えています。

 

 

なので蛾は絶望とか不安とか、閉塞感とか、そういうイメージで使ってしまいがちですね。単純にあのぺったり張り付くところとか目玉みたいな模様がモチーフとして優れているというのもありますけど。

 

 

今、更新停止しているパンダおじさんという漫画(ポイピクの方に上げてます)を修正して完結させて電子で頒布しようとネームを頑張っているのですがそこでも象徴的に蛾を登場させました。Twitterで進捗呟いてるので良かったら見てください。

 

poipiku.com

 

 

完成楽しみにしてね!(一体いつになるのだろう…)

創造力のない創作者

久しぶりにアマゾネスキスを読みました。「高次元は人の想像のはんい外にある」「目や脳で考えない」という台詞になるほどと思いました。

 

to-ti.in

 

私は子供の頃から空想が好きでした。特に遠くの景色を眺めながら空想するのが大好きでした。こう言うと創造力豊かと思われそうですが、そうではありません。私の空想は、ありきたりで現実的なものばかりでした。遠くに見えるモノレールの終着駅の風景や山の麓の三角屋根の家の内装はどんなだろう、とか。現実の延長にあるものの空想しかできませんでした。それは今も同じで、悩みでもあります。

 

 

私は元々はアクリルで絵を描いていて、アートをしていました(専門ではデザインを専攻していたのでアートは独学ですが)写実的な美しさには興味がなくて、感覚を剥き出しにしたような崩れた人体とか風景とか、フランシスベーコンみたいなスピード感のある感情的な描写に憧れていたんですが、やはりありきたりな見方と表現しか出来なくて、行き詰まってしまい絵が全く描けなくなりました。感情で描くよりも、理屈っぽく頭で考えて作る方が得意なんだと思い込み、また、物語を作る方が向いている、という勘違いの末、漫画を始めました(一応学生時代に漫画を描いていたのでこの時、全くの初めてだったわけではありません)。描きたい物語は次から次へと頭の中に流れてきました。私の頭の中には映画館があって、そこでは私の考えた映画が流れるのです。それを漫画のネタにしていました。しかし気がついてしまったのです。この映画つまんなくね?と。ありきたりで誰でも考えつく結末ばかりだったのです。思いもよらない終焉とか人を惹きつけるような導入が描けない。物語の中で起こる出来事もなんの捻りもない、ありきたりなストーリー。私はとても頭が固いことに気がつきました。

 

 

意識の外側にあるものを掴みたい、と漠然と思います。意識の外側とは意図的には行けない、普段、意識しない場所という意味です。瞑想が良いのでしょうか。たまに夢の中で見た光景やストーリーを使うことがありますがそれは意識の外側にある物のような気がします。これを意図的に、起きている時でも掴み取れれば良いんですけど。物語を考えようと思って考えるからつまらない物しか作れないのかなという気もします。無意識とか深層心理とか、そういうものを取り出せれば良いのになぁ。

 

 

冒頭のアマゾネスキスの台詞のように良い作品は想像のはんい外にあって、それって意識の外側と同じなのかな?と考えたり。

 

 

とりあえず夜眠る前に、何も考えず無になることを始めてみようと思います。人間、意識しないと常に考え続けてしまうので。デヴィッドリンチなんかは瞑想で映画のシーンを思いつくみたいですね。撮りたいシーンだけ撮って後で繋ぎ合わせてストーリーを作る、という方法でインランドエンパイアを作ったらしいですから私もそんな感じで漫画を描いてみたいです。

 

 

あと、無関係なもの連想ゲームをやりたいと思います。先日ネットで見たのですが無関係な言葉の組み合わせを考えられる人ほど想像力が豊かだそうです。診断テストもあってやってみたのですが勿論私は凡人レベルかむしろそれより低いくらいでした。子供の頃から空想ばかりしてた癖になので逆にそれをトレーニングして出来るようになったら想像力が鍛えられるんじゃないかと思ってやってます。

 

良いものが作れるように。精進します。

 

高幡不動駅と高幡台団地の思い出・後編

一部フェイク、記憶の曖昧なところ有り。描いた漫画の設定を語りつつ、ほぼ思い出語りです

 

 

前編は古い高幡不動駅京王ストアーについて語りました。後編は漫画で描かれる恐怖体験の舞台である高幡台団地について語りたいと思います。

 

 

 

前編の最後で高幡台団地はある事件をきっかけに整理されるまでは陰鬱な印象だったと書きました。ある事件というのは日野OL不倫放火殺人事件です。

 

ja.wikipedia.org

 (ちなみに下の階に同じクラスの子が住んでいて、家は水浸しで引っ越さなきゃいけないし、マスコミにインタビューされるしで散々な目に遭ったそう)

 

 

恐らくこれをきっかけに道路が拡張され、整備されたのだと思います。

 

 

この事件以外にも今は亡き73号棟(取り壊されるまでの経緯についてはドキュメンタリー映画にもなりました。私は見てないけど。)

www.youtube.com

では飛び降り自殺や殺人事件が起きるし、裏山でも首吊り死体が見つかったなんて話もありました。この辺の事件は大島てるにも載ってないんですよね。私は確かにあったと記憶しているし、母も覚えていると言ってますが昔のことなので確信が持てずにいます。

 

変質者も多く、ありきたりな露出狂とか以外にも刃物ちらつかせてお金あげるよと言ってくるヤベー男もいました。

(刃物男に関しては神戸の事件があった直後だったので学校も保護者も警戒していたのを覚えている)

ja.wikipedia.org

 

 

うちの隣に住んでいたおばさんも変わっていて、いつも窓を少しだけ開けてシャイニングの親父みたいに首だけ外に出して目の前の小学校をジーッと見ていました。私が帰宅して鍵を開けようとしているとドアから顔だけ出して話しかけてきましたが怖かったのでいつも適当に返事して逃げるように家に入っていました。ある時、そのおばさんがドアから出てきて私の家のドアをガシッと掴み開いて、玄関に置いてあった棚を見て「へぇー棚移動したんだ」(数日前に模様替えをして、玄関に棚を移動したばかりだった)と言われた時は恐怖で、家に入ってから、母が帰ってくるまで泣いてましたwこのおばさん、家を出た息子がいたんですが、息子は団地の外階段にできたスズメの巣をつついて雛を落としたりしていました。多分、鳥の糞を防ぐために巣を壊してたんだと思うのですが、落ちて死んだり弱った雛をそのままにしとくってどうなのと今では思います。管理事務所に言えばいいのに

 

 

 

この辺の団地の暗さみたいなものは更新停止中の漫画「パンダおじさん」でもなんとか表現したくて試行錯誤しています。団地を舞台にした話はもっと描きたいのでコロナが終息して、息子が自分で歩けるようになったら高幡台団地にも思い出探訪を兼ねてロケハンに行きたいです。すぐ近くの百草団地も行きたいです。漫画家の山田花子が自殺した所ですね。また、地方の団地も見に行きたいです。都市部とは違った良さがあるので。

 

 

ということで高幡不動駅団地の思い出でした。長々と自分語り失礼しました。

高幡不動駅と高幡台団地の思い出・前篇

一部フェイク、記憶の曖昧なところ有り。描いた漫画の設定を語りつつ、ほぼ思い出語りです

 

 

 

 

超短編漫画を描きました。

ホラー風味です。

 

 

漫画に出てくるのは京王線高幡不動駅とそこから歩いて15分ほどの高台にある高幡台団地です。幼少期から大学卒業するまで住んでいました。今では両親も母の実家である栃木に越してしまい、もう団地には私の実家はありません。

 

 

高幡不動に行ったことのある方なら分かると思いますが漫画に出てくる駅舎は改修前の古い駅舎です。今はもう立派な駅ビルになってますね。隣の京王ストアーも立派になっちゃいましたね。

 

ちなみにうちの父は、改修中の駅の階段が狭すぎてすっ転んで頭を打ち救急車騒動になったことがあります。父は怪我したことよりも2ちゃんねるの町BBSに「じーさんが駅で頭から血流してたwww」と書き込みされたことにショックを受けておりました(当時父は50)。怪我は大したことなくすぐに治りました。今も元気です。

 

 

何故、古い方の駅舎を描いたのかというと、単純に古い方がホラー漫画の導入として適しているかなと思ったからです。現在の駅舎は明るく、清潔すぎて、そこに怪異など入り込む余地がないと思うからです。昔の駅舎には薄暗くてじめじめした不気味さがあったように思います。(教科書に載っていた「子供のいる駅」という話を思い出します)

 

 

隣の京王ストアーにもそんなイメージがあります。幼少期、母が寝込むことが多かった為、よく父と一階のフードコートにラーメンを食べに行きました。フードコートと言っても最近のイオンとかにある綺麗なやつではなく昭和っぽい、中華そばとか麺類と、自販機があるだけの食堂だったと記憶しています。

 

フードコートと生鮮食品売り場が繋がっていて、出てすぐ鮮魚売り場なのでフードコートを思い出そうとすると、同時に魚の生臭さを思い出します。

 

フードコートは閑散としていて、やけに明るい蛍光灯で照らされていました。いつも自分たち親子以外にもう1組だけ親子がいて、この親子はフードコートに行くと絶対にいました。

向こうの親子は母親と息子なんですが息子には軽度の知的障害があったように思います。母親はガリガリに痩せており、皺だらけで黒ずんだ顔にギョロギョロとした目をしていました。長い黒髪はボサボサでミニスカートから生えた鶏ガラみたいな脚が強く印象に残っています。彼女はいつも息子を怒鳴りつけて乱暴に接していました。彼らが食事をしていたかは覚えていませんがいつも居ました。

 

私と父は気まずい思いをしながら無言でラーメンを啜り、食べ終えるとさっさと出て行き、上の階のゲームセンターか啓文堂に行ってから帰るというのがいつものパターンでした(たまに駅の向かいのサーティーワンでアイスを食べる)。父とは他にもよく、府中競馬場へ行って豚汁を食べたり、当時まだマニアックな電気街でしかなかった秋葉原に行って、PCショップを連れ回されたりした思い出があるのですが、その辺の思い出はいつか実録漫画にしたいです。

 

 

ちなみに寝込みがちだったうちの母ですが、私が小学校の頃に同じ団地内の別棟に引っ越しをしてから元気になり、働けるまでに回復し、今では私の子育てをフォローしてくれるほどシャキッとしています。今思うと隣人トラブル的なものに悩まされてたせいだと思います

 

 

そのトラブルがあった団地が高幡台団地なんですが、ここもある事件をきっかけに整理されるまでは陰鬱な印象の色濃い団地でした。団地については後編で語りたいと思います。

創作について話したい

最近無性に、創作について誰かと話したい気分です。それもTwitterとかSNSでコメントの応酬するんではなくて(基本、SNSでの交流は嫌いなので)Skypeとかで話したりとかしたいなぁと思います。私生活のことはあまり話したくなくてあくまで創作について話したいです。(そもそも私の日常生活の話なんかつまんないと思うのでここで色々日常のこととかツラツラ書いてるのはただの自己満です私自身もSNS上でしか知らない人の生活についてあんまり聞きたいとは思わないですリアルで交流ある人は気になるし心配だったりもするので最近どうしてる?とか聞きますけど…)

 

 

例えば、自分の作品についてこんな裏設定があるとか、この映画に影響を受けた、とか次はこんな話を描いてみたい、こんな活動をしてみたい、とか。相手の作品についても同じで、どんな設定やテーマがあるのか?どうやってアイデアを思いつくのか?次回作は?どんな本を作りたい?とか。あとは即売会参加したいねーとか展示やりたいねーとかそういうささやかな夢を語るやりとりが恋しいです

 

 

本当は実際に会ってお茶しながら落書きとかしつつそういうことを語り合いたいのですが憎きコロナのせいでそんなことは叶わず展示とか即売会とかも参加したいけどやはりこれもコロナを考えると難しい早く終息して欲しい私も近々ワクチン予約したいと思います。

母親が自分の為に貯金をすること

自分語りです。ほぼ愚痴、弱音です。プライベートなこと、家庭のことなど語ってるので苦手な方は注意してください※

 

 

 

 

 

 

私は今、専業で家事育児をしています。収入はありません。子供に関する物は貯金で買うか夫に買ってもらうかしてます。

 

 

子供がやっと2ヶ月になりました。あと少し大きくなったらバイトしたいと思ってます。お金が欲しいのです。家計の足しにしたいというのも勿論そうなのですが、それとは別に貯金がしたいのです。どうしてもやってみたいことがあるのです。

 

 

美学校です。

bigakko.jp

そこの講座を受けたいのです。本当は今やっている意志強ナツコさんの「意思を強くする時」という講座を受けたかったのですが、その講座を知った時、既に妊娠後期に差し掛かっており、講座の第一回が予定日近くだったのもあり断念しました。

bigakko.jp

 

 

また、まだまだコロナが猛威を振るう東京に行き、家庭内にコロナを持ち込んでしまうことが怖かったのも断念した理由の一つです(オンライン講座があったらなぁ…)

 

 

ですが、美学校のその他の講座や受けた人のインタビューみたいな記事を見ているとどうしても行きたくて仕方なくなりました。なので貯金をして、一年後、あるいは2年後に漫画系の講座を受けたいなと思ったんです。思ったんですが…………

 

 

そもそも美学校って誰でも受けられるんですかね?経歴や年齢など不問とありますが実際はある程度、経歴というか実力がないと受けられないのでは?まぁそこはとりあえず貯金しつつちょこちょこ作品作ってカバーするとして

それよりも私が悩んでいるのは

 

 

 

 

母親が自分の為だけに貯金をして、更にその貯金を使って自分の趣味のための講座に月一回東京まで通う事が果たして許されるのか?という点。

まず、いくら自分で働いて貯金すると言っても高額なので、そんなお金貯めたなら子供の教育資金に回せよ!お前はもう十分教育受けただろうが!という声がどこからか聞こえてきそう

更に子供がまだ小さいのに母親は自分の好きなことして良いんだろうか

大体その1日は誰に子供見てもらうの?夫?親?どちらにせよ自分の趣味で東京に行ってくるので子供見ててって言うの?

一時預かりはお金がかかるしそもそも空きがあるのかという問題があります。

土日だし。

 

でも一番モヤモヤしてるのは母親が自分の為だけに毎月一回、丸一日子供と離れて良いのかということ。よく育児系のネット記事とかお悩み相談とか見てると「たまにはママも息抜きしましょう!子供を預けて1人の時間作りましょう!」とかあるけど、大体が一回が13時間程度とか丸一日だとしても半年に一回とか、そんなもん毎月丸一日子供と離れる母親なんていないしかも自分の趣味。その講座を受けたからって収入につながるわけじゃない(いやできるなら繋げたいし繋げられるように頑張るつもりだけど)

 

母親にも自由は必要。それは頭で分かってる。けれど限度というのがあって私が求める自由は限度を超えてるんじゃないか、それこそ母になる覚悟が足りなかったんじゃないかとか思います。

 

 

 

 

講座受けたい

でもそのお金があったら子供の教育の足しになる

まだまだ自分が大人になりきれてないから学びたいとか思うのだろうかこれが子育て終えてリタイアしてたら迷わず受けるんですけどね

 

 

母親だからって自分のやりたいことを諦める必要はないというのは分かってるけど現実問題、超個人的で家庭は一切関係ない「やりたいこと」に家庭を振り回して良いのかと思うと諦めるべきなのかなと思います…(でも諦めきれない…)

 

 

 

なんだか頭がこんがらがってまとまらないです。

とにかく

美学校の関係者の方!もし見ていたらお願いします!リモートの講義を増やしてください!お願いします!!

 

 

以上です!